泣いても宿題をやらせる意味

どんな意味があるのでしょうか?

 

「子どもが宿題を嫌がって泣いている。」

「泣きながら宿題をやっている。」

 

”宿題はやらなきゃいけないものだから、泣いても叫んでもやらせている。”

 

そういうことなのです。

 

泣いても宿題をやらせる意味ってなんでしょうか?

 

わかりません。

 

泣きながらさせる効果は

 

意味ではなく、泣いても宿題をさせる 効果 ならわかります。

”奴隷の意識を身につけること” です。

 

学校の奴隷、親の奴隷、会社の奴隷、

嫌なことでも我慢しなさい。

泣いても叫んでも無駄です。

心を殺して我慢するんです。

 

そういうことです。

 

想像してください

 

もしも親であるあなたが、泣いてまで嫌がることを無理やり配偶者に強要されたら・・・。

 

しかも、その内容はあなたにとっては、やらなければならない必要性を感じない無駄なことです。

 

怒鳴られ、時には手を出され、泣き叫んでも許してくれないのです。

 

だらだらやっていると叱られ、やり方を間違えたら叱られ、正しく出来ないと叱られるのです。

 

 

心が潰れそうになりませんか。

 

感情を持っているとつらいから、心を殺そうとして胸の奥が痛くなりませんか。

 

きっと逃げ出しますよね。

 

逃げていいんです。

 

それは ドメスティック・バイオレンス ですから

 

子どもたちには逃げ場がない

 

でも子どもたちには逃げ場がありません。

本来安全地帯である家庭で、守られるはずの親にやられるのですから。

 

学習習慣がつくどころか、勉強を嫌いになり、自分で考えることを嫌がり、すぐに心を閉ざすようになります。

 

だから、高学年、中学生の通塾率がどんどん高くなっているのです。

だから、無表情の子が増えているのです。

 

生まれつきではなく、そう育てたから。

勉強が出来ても無表情で ”人の心” が育っていない子。

義務教育の勉強程度がわからなくなってしまう子。

 

育てたのはだれですか?

 

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